母が80歳を過ぎて数年が経ちました。
カラダは、まずまず元気で過ごしているけれど、半年ほど前に車の免許を返納しました。
かかりつけのお医者さんに、「もう車は危ないからダメ」と釘をササれまして。
認知症とか、そういうことじゃないらしいです。
日常的に特に何をするというでもなく、ぼんやりと過ごしているせいで、だんだんと頭もぼんやりしてきているらしいのです。
以前は、趣味の付き合いでゲートボールに出かけたり、和太鼓を練習しに行ったり、老人会でおしゃべりをしたりしていたのに、最近は一つずつ断ってしまって、今ではほとんど遊びに出かけることもないようです。
このところは、新型コロナという要因も加わってしまったけど、このコロナも母にとっては「人に会わなくていい理由」に、好都合になっているようです。
数年前から、母は自分のボケ具合を気にしていて、だんだんと物忘れがひどくなっている自覚があったようです。
たまに話をすると、「なんだか最近ボケちゃっているのかな〜」と不安げに呟くこともありました。
おそらく、ボケに対して身近に恐怖心を抱いていたのだと思います。
私はそのたびに、「そ〜お? 物忘れしてるな〜って分かっているうちは、まだまだ大丈夫だよ」と、適当に受け流していました。
正直言うと、ハタから見ても、少しボケてきているよな、と思ってはいましたが、まともにそういう話を聞くのはちょっと面倒くさいというのが、私としての本心でした。
たぶん母は、娘に適当にあしらわれて、自分の不安を分かってくれないもどかしさで、さらにさびしく不安に思ったと思います。
私は当時、自分でそんな返答をしながら「母はさびしく思うだろう」ということが容易に想像できていたのに、きちんと話を聞いてあげない自分の冷酷さを感じていました。
それが最近の母は、ボケに対する不安な口ぶりがなくなりました。
今は、何も気にすることなく同じ話を何度もするようになりました。
会話の内容をその時は理解していても、その後にわからなくなって勝手に創作してしまったり、ほんの数時間後にするはずの予定のことも、すぐにすっかり忘れて過ごしてしまうようになりました。
そして最近は、以前からの性格のイヤな部分がさらに突出してきたような気がします。
見栄っ張り、意地っ張り、寂しがり。物事を楽しめない。
一人が寂しいくせに、「あの人はイヤだ」とか「この人は恩知らず」とか、そんなことばかり言って一人で過ごす。
そんな母と、私はこれからどんな風に付き合っていくことになるのでしょう。
母はこれまで、どんなことを考えながら人生を送ってきたのかしら。
私はこれまで、母のことをどんな風に思って生きてきたのかな。
若いときの私は、おそらくまだまだ先の長い人生を送るであろうにもかかわらず
「先のことは考えずに」いい加減に生きていて、
年を取ってきたら反対に、若い時よりも明らかに先の短い人生にもかかわらず
「先の不安ばかり考えて」生きているような気がします。
私もいつの間にか50歳を過ぎて、これからの母と新たな関係を築いていくことを考えるときがきたのだと思います。
お母さん、
どうか、娘の私のことは、あなたの記憶の中に留めておいてくださいね。
このブログが、私が母のことを思う気持ちを放棄せずにいられるよう、支えとなってくれますように。
コメント